アンナ・カリーナが放つイカした自己責任の哲学~女と男のいる舗道~

VIVRE SA VIE
「女と男のいる舗道」
1962年公開ジャン・リュック・ゴダール監督
仏語タイトル「Vivre sa vie(自分の人生を生きる)」

何度も観てしまう映画(DVD)。
なぜなら、アンナ・カリーナが演じるナナが放つ人生哲学を語る台詞がちょっとシビれるからです。

物語の筋は、女優を夢見て夫ポールと別れ、自立しようとパリに出てきた主人公ナナ(アンナ・カリーナ)が、厳しい現実の中で生きる為に娼婦となり、やがては哀しい運命へ…という流れ。
そのナナが、カフェで女友達イヴェットを前に、人生観を語ります。
イヴェットが自らの幸福とはいえない成り行きを「でも私の責任じゃない」と放った後の台詞です。

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私は全てに責任があると思う。自由だから。
手を上げるのも私の責任。
右を向くのも私の責任。
不幸になるのも私の責任。
タバコを吸うのも私の責任。
目をつぶるのも私の責任。
責任を忘れるのも私の責任。
逃げたいのもそうだと思う。

全てが素敵なのよ。
素敵だと思えばいいのよ。
あるがままに思えばいいのよ。
顔は顔。
お皿はお皿。
人間は人間。
人生は人生。


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『今ある自分は全て今まで自分が選んですすんできた結果』なのですよね。

近頃、同じような内容をまとめた「人生自己責任」をテーマにしたビジネス本や啓発本がたくさん出ていますが、こんなにイカした伝え方はなかなか目にしていないような気がします。

実は結構重たい内容だけれど、アンナ・カリーナが世間話をするようにさらさらと言い重ねるのがいいです。既に50年前にこういう映画を作っていたとは、さすがゴダール。

そうそう、この映画10章目のサブタイトルも個人的にイカしているか、と。
“舗道 – あるタイプ – 幸福とは華やかなものではない(le trottoir – un type – le bonheur n’est pas gai)”

加えて、同時に流れる音楽がもいいです。「シェルブールの雨傘」、「ロシュフォールの恋人たち」を手掛けたミシェル・ルグランの旋律♪

おまけ
アンナ・カリーナは、この作品が公開された時は、ジャン・リュック・ゴダール監督の妻でした。ショートカットが似合うわ~。羨ましい(*^▽^*)